学校や塾で勉強を教わる、これはどんなイメージでしょうか…? 教わる方も教えるほうも自分のペースで進めたがります。結果的にどうしても教える側(指導者側)のペースになってしまい、教わる側は一カ所判らなくなるとそのままズルズルと。。。
これ、当初は私も悩みました。本当のことを言えば今でも悩んでいます。ただ、最近ちょっとヒントを掴みかけました。解らないと質問に来た時、本当に解らないポイントを掘り下げ、そこに至ったときに相手に主導権を渡すことが一手段として有効なのでは。。。
高校受験が目の前の中3生に図形の指導をしていた時のことです。図形は得てしてポイントを一つ見落としてしまうと途端に解けなくなります。そこを軽々に指摘して解説したら。。。
生徒さんに遮られました。『図形ってさ…ムカつくよね!』『たった一か所読み取れなかっただけで天国と地獄だよ』『でもさ、それってどうやって気付くの!?』
これ、図形問題の本質ですよね。そしてこれまで私が軽々に解説していたのではないかと振り返るきっかけになりました。
この生徒さんは中3の冬から訳あって他塾から転塾して年明けから指導しています。数学は計算系・関数系統の問題は非常に良く出来ているのですが図形で苦戦しています。
そこで…ここから先はちょっとした企業秘密なので割愛します。その結果、『やっぱり図形ってムカつくよね』『こんなやり方で考えるなんて思いつかなかった』『こうすれば万全じゃん!』
この生徒さんのケースでは受験まで時間がないからと焦って初めから『こうやって…』としてしまえば『万全じゃん!』と思わせられなかったと思います。『どうやって気付けば…』というタイミングで助け舟を出せたから良かったのかな…と思います。
良く、『教えすぎは良くない』と言われます。それは生徒さんが考えることを放棄してしまうからです。今回はそれがうまく行ったケースなのでは。。。
逆もあります。先日、『○○なやり方で教えるコーチは力不足で時代錯誤』とSNSでツイートしたアスリートがいました。確かにそのような指導法は…と思いました。
しかし槍玉に挙げられた方は良い気分で受け入れることは出来ないと思います。それなら直接穏便に伝える方が効果的で即効性もあるのではないでしょうか。
時には敢えて他者の目の前で指導することも効果はあるのかもしれません。しかし私がその方法を取ることはないと思います。私自身がそのような指導をされるのは嫌だったので。。。
勉強って『覚える』ことや『知る』ことも大切ですが、それ以上に『気付く』ことも大切ではないでしょうか。でもそのこと自体にあまり着目されていないような気がします。
同じ教材・同じ言葉や解説スキルで指導したとしてもタイミングがずれてしまえば生徒さんに気付かせることが出来ないこともあります。大切なことは生徒さんをよく観察することだと思います。