2023年10月、九州のある市長が会合の挨拶で『挨拶とスカートの丈は…』といった類の話をしたことが問題になりました。後にこのスピーチは『今の時代にそぐわない』『セクハラだ』との非難を浴びることになりました。
いわゆるマスコミからの攻撃に留まらず、議会における辞職勧告決議にまで発展しました。私見ではありますが、それより先に議論すべきことがあるはずでは。。。そう考えると目立ちたがりの選挙対策・スタンドプレイです。
この類の挨拶は品の良し悪しは別にして昔から連綿と語り継がれたものです。それらを清濁併せ呑む(大きな心で善悪の区別なく受け入れる)気持ちで受け入れてきたのがこれまでの日本社会です。
しかしこれからはちょっとした隙に付け込まれてしまう時代になっていきます。それにも注意しなくてはなりません。嫌な世の中…と思うかもしれませんがそれは私たちが作り上げてきたものなのです。
話はちょっとだけ変わりますが、昨今対応に苦慮していることがあります。分かりにくい話なので例を挙げて説明していきたいと思います。
Aさんは自分から進んで勉強します。覚えておくよう指示した漢字や単語もしっかり勉強して毎回の小テストでは毎回必ず満点を取っています。
Bさんは家では全く勉強をしていません。漢字や単語の小テストも取りこぼすことが多くなっています。決して能力が劣っているわけではないのですが、日々の生活が楽な方に流れがちです。
学校やほとんどの塾ではAさんを褒め称える一方でBくんに対して『毎日きちんと勉強しなさい!』と指導することが出来ない、それが今の世の中です。なぜなら。。。
『○○ハラスメント』と言う言葉、市民権を得て久しくなります。そしてこれは言われた本人(この場合ではBくん)が嫌な気持ちになってしまうとそれがハラスメント認定されてしまうからです。
そして、現代の子供さんは『嫌なこと(=勉強)から逃げきる』ことが出来ることを知っています。上記の例で言えば周りはB君の才能に気付いていながらみすみす潰すことになるのです。
それを大人が建前で『勉強しないと…』のように注意しても聞き入れてもらえないのは仕方ないことです。でも、それで良いのかな…
私は勉強する意味の一つは『嫌なことでも正面から乗り越える努力をする』ことではないかと思います。小中学生が学んでいる全てのことが今後の役に立つとは思いません。しかし。。。
挑戦せずにスゴスゴと逃亡する癖をつければ人によってはそれが当たり前となってしまいます。何事にも挑戦して、二度も三度も挑戦して、ダメだったらその原因を究明して再挑戦…と乗り越える努力を放棄することになります。
恐らく、これからの日本は80年代・90年代のような華やかな時代や2000年代・2010年代のように慎ましくも実りある時代、とはならないように思います。より厳しい時代が待っています。
その時キミは自分の希望に向かって努力を出来る人間か、諦めて時代に飲み込まれる人間なのか、そしてキミはどちらの人間になりたいのか…
2023年は折に付けこんなことをよく考えていました。
本年も大変なご厚情にあずかり、深く御礼申し上げます。来るべき年が皆様にとって素晴らしい一年になるよう祈念しております。2024年もよろしくお願い申し上げます。
LS WILLみ春野本校
代表 飯塚 努