この話題、当教室のホームページトップでも触れており、小欄の第2話でも触れているのですが、なかなか浸透しません。自らの発信力のなさを反省しなくてはなりません。
これ、本当に大切な話だと思います。学校と塾で同じことをやる意味は殆どありません。無駄、と言っても良いのではないでしょうか。やっていることは近しいようですが方向性が違います。
学校でやる勉強は一定のルール(これが『指導要領』と言われるものです)に沿って進めなくてはなりません。ある意味、これが第一義です。そのあとに授業の分かりやすさや生徒の習熟度を高めることが付随してきます。
一方の塾ではルールより『いかに習得してもらうか』が優先されます。もっと乱暴に表現すれば『いかに得点させるか』が大切になってきます。そこには建前の行儀ばかりを気にした授業は不要なのです。
良く生徒さんから相談されることに『試験テクニック』があります。これ、元をたどれば私が学校の先生から教わったものも結構あります。しかし最近は学校の先生が教えて下さることも減ったようです。
理由はいくつか考えられます。一つは時間不足。学校授業は圧倒的に時間が足りていません。従ってはみ出た部分である試験テクニックにまで話が及ばないことが推測できます。
その話をするのなら本筋を少しでも進めたいと思うのが自然です。その結果、試験テクニックの話は二の次三の次…となってしまうのでしょう。
もう一つは詰め込み学習に対する警鐘。試験テクニックばかりが先行した詰め込み学習の反動から『ゆとり学習』が生まれました。これは明らかな失政ですが、その対極にあった詰め込み学習も…
一時期、中学入試で出題された奇抜な問題が社会問題にまでなったことがありました。『中学入試はこのような問題が解けないと…』と世間から誤解される一因ともなりました。
それらの反動で試験テクニック先行型の学習を極端に嫌う風潮がそれらを教えない授業となっているように思います。これ、極端すぎますよね!? 最低限の試験テクニックは教えるべきです。
千葉県の公立高校入試、国語の問題では最後の設問が作文になっています。これ、満点を取るにはかなりのコツが必要ですが、白紙提出の選択肢はないと思います。必ずと言って良いほど部分点が貰えるからです。
しかし多くの受験生はこれを白紙で試験終了します。白紙率が10%を上回る年度も結構あります。『書けば幾許かの得点になる』のに白紙、あなたはどう思いますか!?
これには2つの試験テクニック欠如が挙げられます。一つ目は試験の構造や出題・配点などを知らなかったこと。二つ目は最終問題に確実に得点できるものがあるのに冒頭から解いてしまったこと。
公立入試国語の問題だけを見てもいかに試験テクニックが習得できていないか分かります。試験テクニック、私は必要なものだと思います。それによって点数が上がり、勉強に対する意欲が向上すればシメタものです。
仕事柄生徒さんの試験解答用紙や練習問題を解いた跡を見ます。それらを見れば漫然と解いたのか試験テクニックを駆使して解いたのか、大体のところは分かります。これ、驚かれますが、試験テクニックだけでも5科目10点(つまり1科目2~3点)は変わってきます。10点違うと…
勿論のことですが試験テクニックのみが先行では困ります。車の両輪のように双方のバランスが取れた力を構築することが大事だと思います。