昨今の小中学校では様々な改革がなされています。これらの根底にあるものは『教員の働き過ぎ』です。これを改善するための方策として多面的な業務のシェイプアップが図られているのですが。。。
学校の改革は我々から見るとどうしても…な面が多いように感じられます。改革をすべき点がずれているのではないかと思っています。本来学校に求められる社会的意義とは。。。!?
学校は社会に有意な人材を育成することが第一に求められることです。従ってその点を排除することは有効な改善とは言い難いものです。着手するのであれば他のところから…これが道理です。
通知表や定期試験はその最たるものです。ある意味、これを良い評価にしたいから勉強するのではないでしょうか。これは私だけ、ではない筈です。それらを省力化しようとするのは…
確かに通知表や定期試験は教員に大きな負担を与えています。しかし学校というシステムにおいてそれらが大きな役割を果たしていることも事実です。それらをなくすことによって得られるもの・失うものの効果を考えると答えは明白です。
大袈裟な話をしてしまうと、現在の日本経済は大きく落ち込んでいます。国際競争力が落ちているのです。そしてこれまでに日本が国際競争に勝てた原動力は優れた人材、そしてそれらを生み出す教育力だったはずです。
『国家百年の計は教育にあり』、この言葉は教員であった私の師父が好んだ言葉です。国を良くするのは人材、悪くするのも人材です。その根底が揺らいでいてはいくら小手先の政策で立ち回っても向上しません。
みんなで手を繋いでゴールと言う言葉が象徴したゆとり教育が間違いであったと分かった今、正々堂々と競争できる実力を育てる教育が必要なのではないでしょうか。その上で個々を認め合える余裕が求められる時代なのではないかと思います。
後退を促す(私にはそう見えます)ような改革は志を持った教育と言えるのか、その点まで掘り下げて学校運営を検討して欲しいと思います。