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1067 大学生の中学生化!?

1067 大学生の中学生化!?

先日、大学の先生と話す機会がありました。物事をズバズバと仰る先生で痛快に感じることもありますが、核心を突かれてグサッとくることもあります。恐らく先生の講義は分かりやすいだろうと想像できます。

先生いわく、『高校までは生徒を導く指導を行うべきだが、大学生になってもそれでは困る。大学は学問を究明するための機関でもあり、しつけの場ではない』とのことでした。もっともなご意見です。

それではなぜ、大学の先生からこのようなご意見が発せられるのでしょうか。それは『大学生になっても手取り足取り箸の上げ下げ迄指導しなければならない状態』に陥っているからだそうです。

 

我々の学生時代は…と言ってしまうと時代錯誤な見方になってしまいます。しかし現在の大学生が置かれている状況は非常に甘やかされているな…と思うこともあります。

一つ例を挙げれば休講掲示。我々の学生時代には休講を知らせる一枚の紙切れが掲示板に張り出されるだけでした。張り出されるタイミングも講義開始直前ということもよくありました。

一方で現在の一部大学ではネット掲示板に講義の○○時間前までに告知し、一斉メールで通知され、必要なら学生課などから電話が入り… それほどのことを求められるそうです。

その上で飛びコマ(1限の次が3限、など)が発生した時には学生の待機場所を設営し…などという面倒まで見るそうです。これ、必要あるのかな。。。!?

 

現在、多くの大学はこれを『教育サービスの一環として』行っているそうです。しかし、これが過ぎれば学生が大人になる機会を失してしまうように思うのです。

大学生時代の私は休講となれば友達と喫茶店に行って喋ったり、図書館へ行って調べ物をしたり、クラブの部室へ行って…と結構有意義に過ごしていました。その中で友情を深めたこともあったような…

また、休講情報の交換も盛んに行っていました。学部別の連絡網がいくつか出来ていて早目に休講を知ったらお互いに知らせる、一般教養科目なら学部に関わらず…のようなこともやりました。

その結果、それまで知らぬ仲だった人ともそれがきっかけで交流ができ、今では…という仲間だっています。学生時代の友達ってそんなものでいいと思うのです。

しかしこれを教育サービスの一環として過剰に手厚く行ってしまえば主体性のない社会人を作ってしまうことになります。いつも受け身の姿勢で待っていれば…な習慣が出来てしまうからです。

 

冒頭の『生徒を導く』は大学にあってもいいとは思います。しかしその形は中学生・高校生と同じではいけないと思います。口を開けて待っていればいつの間にかスプーンが…を期待する大人を作る大学は社会的責任を果たせていません。

また、斯様な過剰サービスを売りにしなければ学生が集まらない時代になったことを今更ながら実感します。大学過剰というより中には不要な大学がある、と言えるのではないでしょうか。

その上で、過剰サービスがないと学生生活を送れない社会性に欠けた大学生が増えた、とも言えるのです。上記の先生いわく、それらは高校生までにきちんと身に付けなくてはならないスキル、なのです。

しかし…私が見ている限り、現在の小中高でこれを身に付けていくことは難しいのでは…と思います。そうなるとご家庭で身に付けさせていくしか方法はないのでは…