先日のニュースで中沢啓治さんの『はだしのゲン』が広島の平和教育教材から外されたと報道がありました。私も小学生時代に読みましたが、戦争の悲惨さが実感出来る名作だったと思います。それだけにちょっと残念です。
所々の表現が令和の世の中に合わない、とのことです。しかし戦争というものはそういうものです。美化して語ったものや醜いところを覆い隠したものでは平和教育になりません。
しかし・・・
私が今回題材にしたいのは『はだしのゲン』の内容についてではありません。これを教材に小学6年社会の授業を行なった学校の先生の話です。
通常の小6社会は地理(日本地理・世界地理)、日本史の学習をします。つまりこれは中学の社会(地理歴史)や高校社会の基礎となります。
ところがこの先生、『地理は中学高校でもやるから。。。』と歴史分野だけの授業を行ないました。それも第二次世界大戦中の話だけで半年以上費やしました。
社会の授業だけではしゃべり足りなかったのか、他の教科を潰してまで訴求したいことを喋り続けました。クラスの半分以上はウンザリした表情、熱心に聞いていたのはほんの数人ではと思います。
当時、この先生はある有名な教員組織に入っていて。。。という噂でした。まぁ、噂ではなく先生自身もそれを認めていたようですが。。。
言いたいことを全て言い切った方は良い気分でしょう。しかしそれに1年間付き合わされた側の生徒はたまったものではありません。事実、そのクラスの卒業生は中学進学後に『社会が嫌い!』という人が多かったこと。。。
これ、さも私が聞いてきたように書いていますが、実はこれ、私自身の小6時代です。今このような授業を行なってしまえば即刻処分がありますが、時代が大らかだったのか。。。
中学校の社会の先生は『そんなこと知らない人がいるの?』と嘆きながら授業をしていました。中学の先生の気持ちは理解しますが授業を受けるこちら側は『そう言われても。。。』と言うしかありませんでした。
中学校の先生はぶつぶつ言いながらも補強プリントなどで対策を取りつつ、授業でも出来るだけ詳細に話すよう心掛けて下さったそうです。これは後日同窓会で聞いた話です。
これで中学の先生も小6の時の先生のような対応だったらどうなっていたのか怖い気がします。中学の時にきちんと基礎を作り直せたお陰もあって私は社会学系で大学進学することが出来たのですから。。。
小学校の先生は恐らく『中学卒業時に受験があり、その中には社会という科目がある』と言うことを認識されていなかったのではないかと思います。
それが卒業後に『自分の生徒(これはその先生の口癖でした)』を苦しめたことなど想像も出来なかったのではないでしょうか。それに気づければ斯様な授業計画(と言えるかどうかは別として)は作らないでしょう。
これは本当に極端な例です。しかし、程度は違えど現在の小中学校においてこのような教室運営がなされていることは事実です。
『受験までに教科書範囲は完成しました』と胸を張った先生がいたそうですが、終わらせることではなく、理解してもらうことが目的なのではないでしょうか。
私自身、入試本番で解らない問題を前に呆然としている生徒さんの夢を見ることがあります。そんなことが絶対に起こらぬように日々の授業に向き合っています。