本省は前章より続けてご一読下さい。
後半では入試に特化して述べていきたいと思います。
中学入試・高校入試・大学入試では在籍している学校の先生が主体的にサポート出来ないことも問題だと思います。入試が専門性を帯びて複雑化しているのは理解しますが、それを理由に何もしないのは。。。
よく中学入試に向けて頑張る小6生に『なにも出来ないけど応援しているね!』という小学生の先生、一見いい人に見えますが生徒さんの進路選択をサポートする職務を放棄しているのでは。。。
現状はそれらを学習塾(市井の一私企業、と言い換えても良いのでは)が担うのはやっぱり変です。学校というシステムの中で完結出来れば一番良いと思っています。
現実には塾の面談で保護者様より『受験は塾主導でお願いします』というご意見が非常に多く聞かれます。学習塾運営者としてはありがたいお話ですが。。。
お任せ頂いたからには最大限の結果を出したいと思うのは当然です。しかしこれ、本当に正しいことなのでしょうか。そうなってしまうと学校の存在意義は断片的に勉強を教え、時々楽しい行事をやるところ、となってしまいます。
また、学習塾と学校では生徒さんが費やす時間が圧倒的に違います。学校では1週間に5~6コマの授業があるとすれば25~30コマで30時間、対して学習塾は多くても週に3~5時間です。関係各位はどう思われますか!?
感情論になっているので話題を変えましょう。
昨今は入試制度がころころ変わりすぎるようにも思います。今求められている学力が・・・などの論調がありますが、小手先(入試方法)を変えるだけで何が変わるのかと感じます。
また、入試方法を変えることにより学校の序列化を改善しようという考えもあるようです。これも小手先論に過ぎません。根本的な改善にはなっていません。
大学の先輩がある学校経営の重責を担っていらっしゃいます。学校名を言えば誰もが・・・と言う学校ですが敢えて校名は伏せておきます。
その先生は『求める生徒像は入試で探すのではなく、授業で作るのだ』と口癖のように言い続けています。そうですね。入試でいかに特異な課題を課してもその後の授業がそこに沿っていなくては意味がありません。
しかし一方では『世間のトレンドに合わせることも大切』とのこと。あまり意固地になって変化を拒んでも良くないことはご存じでした。
要は変更をするなら学校の考え・方針・信条を明確にしていくこと、そしてその変更は学校の進むべき道と世論に合致しているものにすべきなのではという問い掛けでした。
これらを踏まえて教育の本質を考えると現在の日本教育界は『入試第一主義』です。ここに学習塾が跋扈する隙間が出来るのです。しかし本来の教育とは日々の授業・学校生活にあるべきなのではないでしょうか。
まぁ、これは理想論です。しかし、理想を叶えて次の世代に世の中を引き継ぐのは現代を生きる我々の使命です。何が出来るのか、何から始めなくてはいけないのかをじっくり考えましょう。