夏休みの宿題、これほど嫌なものはなかったという生徒さんも多いと思います。子どもさんだけではなく大人だって顔をしかめる人が多いのではないでしょうか。
だからと言って回避して良いものではありません。コツコツやれば必ず終わります。終えられないのはかなり特殊な事情がある場合です。私ならその特殊な事情が予見出来る生徒さんには宿題は出しません。心的負担だけが大きくなるからです。
そんな夏休み明け直前、学校の先生が集まって打ち合わせをしている際に校長先生から『休み明けは宿題を提出出来ずとも学校に来てくれたことで良しとしませんか!?』との提案があったそうです。
『宿題は期限を切り直して回収すれば・・・』という更なる提案、美談として語られていました。しかし私はいくつかの強い違和感を感じました。
1点目は標記の点、特殊な事情があるなら前もって宿題を出さない方が生徒さんの心理的負担が大きく軽減出来たのでは・・・と言う点です。
2点目は先生方の負担。提出日が複数設定されればそれだけ事務的な負担が増えます。今のご時世でこれを是とするのは難しいのではないでしょうか。
3点目は児童・生徒の皆さんの捉え方。中には必死になって夜を徹してまで完成させたお子さんもいたのではないでしょうか。そんな努力を無駄と考えてしまうシステムは問題です。
宿題を期限内に提出するのは何も学校だけではないと思います。社会に出ても仕事に期限はつきもの、期限内に仕上げられないものは無価値、若しくは大きく価値を減じてしまいます。
一時期隆盛を極めた『みんな一緒に手を繋いでゴール』と言った方針は現在では通用しないこと認識されています。それならきちんと提出したお子さん、出来なかったお子さんは線引きをするべきです。
その上で大切なこと。これは提出時点で伝えるのではなく、宿題を手渡すときにきちんと伝えなくてはなりません。宿題は期日までに計画的にやること、そしてそれらはやった本人の血肉となることをきちんと伝えなくてはなりません。
また、学習塾の人間として感じることは『解らないことを宿題に出されても・・・』と言うこと。例えば小学生の計算、簡単と思って出題しているようですが、手順を一つずつ追いかけていくと必ずしもそうではありません。
小中学生は皆さんが思っている以上に純粋です。解る問題は本当に楽しそうに解いています。しかし解らない問題になると途端に。。。
宿題をやらなかったこと・出来なかったことを責めるな、この話には優しさこそ感じるものの短絡的に思います。美談とするのではなく、皆がきちんと解ける宿題を出す工夫が必要です。それが出来ないのは先生方の技量不足か手抜きなのではないでしょうか。
表題に『顛末が気になります』と述べましたが、果たして全員がきちんと提出出来たのか甚だ疑問です。