日々の授業では様々な反省点や小さな喜びを見つけることが出来ます。こう言えば良かった、こんな脱線をしたから理解してくれたのか、ここは色を変えて説明した方が・・・等々より良い次回授業に向けてのヒントがちりばめられています。
それらは次回に向けて、次月に向けて、そして来年に向けての大きな試金石になります。そしてそれらの積み重ねが教室の財産となるのですね。
一方でそれを受け取る生徒さんにとっても学ぶ意義を考える時間になるようです。言い古された命題ですが、学校で教えることは大人になってから役に立つのか考えているようです。
私はこの命題に対してこのように考えています。各論では何の役にも立たないが、それに向き合う姿勢を養うことは大事である、と。。。
方程式が解けることは将来の役には立ちません。現在はパソコンが発達していて数値を入れるだけで解を求めてくれるソフトもあります。従って解を求める技術については今後役に立つことは稀でしょう。
しかしそれを習得する過程で繰り返し工夫して考えて当てはめていくことはこれから先の人生でも役に立つ武器になると思っています。
英語が喋れることはつい最近までは大きな武器でしたが、それもパソコンやスマホで代用出来るようになりました。しかし、語学を通じて得た外国文化はきっと役に立つと思うのです。
学習塾ではそこまで踏み込んだ学習を行える余裕はありません。学習塾が社会から求められることは志望校合格であり得点力アップだからです。
しかしそれだけでは少し淋しいかな。。。
生徒さんと雑学について喋っていると非常に生き生きとした顔で聞いてくれることがあります。その生き生きとした表情で取り組めることはやがて学習意欲に繋がるのではないでしょうか。
そう考えると学習塾で教えることは非常に難しいことだと感じます。塾の学習には台本などありません。求められるのは結果、そう考えると手段を選ぶ余裕はないのです。
その上で生徒さんの充実した笑顔を見ながら授業運営・教室運営を出来ることは非常に張り合いのあることだと実感しています。