先日、中学生の生徒さんが『この問題、解んないんだけど教えて!』と学校ワークを持ってきました。見ると図形の問題です。少し骨がありそうですが・・・
教科書が改訂されると出てきがちな新傾向問題でした。ただ、私にとっては見覚えのあるような問題でした。でも知らない問題を解くことは少しワクワクします。
そんな話を生徒さんとしながら(全く同意は得られませんでしたが💦)問題を解き、ポイントを解説しながら完成させました。生徒さんが徐々に理解していく様子は塾での醍醐味です。
解き終わってから改めて生徒さんに『○○の性質と△□の定理を組み合わせて考えれば解けるね! 面白い問題だね!』と念を押したところ。。。
『センセーはさ、解るから面白いんだよ!』と悔しそうに返してくれました。確かにそうですね。解らなければ面白くも楽しくもありません。
私はちょっと反省しました。確かに自分の中学生高校生時代はそうだったに違いありません。勉強は好きではなかったし一生懸命やっていた訳でもありません。
そして同じような気持ちを学校の先生方に対して持っていたのではないでしょうか。『学校の先生は勉強が出来るから・・・出来ない人の気持ちなんて・・・』と思っていたように記憶しています。
でも、それって間違いですよね!? 学校の勉強は必要な努力と正しい筋道を立てていけば誰しも同じ答に行き着きます。これは大体の場合、当てはまるのではないかと思います。
そして自分自身がそれらの努力を怠っていたことを棚に上げてそんなことを考えるなんて・・・ 当時の私を今の私が指導していたらどう感じるのか非常に興味深く考えました。
遅きに失した感はありますが、今は数学のちょっと厄介な問題や英語の面倒な長文が出てくると『面白そうだな』と思うようになりました。その上でいろいろなことを考えます。
みんなが嫌う数学だって元を正せば人間の知的好奇心が生んだ学問です。高校生が習うレベルであればいわば『上質なパズル』のようなものです。その本質を忘れてはただの苦役です。
英語もそうですよね。異文化理解の観点からすれば英米文化を知るスタート地点です。それを踏まえていけば知的好奇心・興味が湧くのではないでしょうか。
国語だって理科社会だって実学として即役立つものもありますが、多くはパズルです。そうして考えれば勉強だって少しは気楽にやることは出来るかも。。。
しかし、現在の小中学生はそんな余裕もないかも知れません。それほどに小中学生は忙しいのも現実です。