個人的には偏差値という一本の物差しだけで『いい学校』『悪い学校』と評価するのは非常に抵抗があります。しかし世の中はそういった見方・評価が極めて一般的なのではないでしょうか。そこで『こういう見方がある』という一例を示したいと思います。
私は大学卒業後にすぐ学習塾業界に奉職したわけではなく、他業界に在籍していました。その時ご縁を頂いた大手都市銀行の人事の方からこのようなことを伺いました。「有名大学の看板学部から学生を取る理由ですか? 我々は決して彼らの専門知識に期待しているわけではありません。専門知識は職務遂行していく段階で習得していけるものだと思います。彼らに期待していることはただ一点、彼らは『頑張れば成功する』ことを受験の中で学んでいる訳です。だからそれを活かして頑張れる人間が欲しい、そういった理由で有名大学の看板学部のみから採用しているのです。」
一般的に人物を判定する材料は多岐に渡り、一律に判断することは難しいと思います。だから一番判断しやすい材料として大学の偏差値が物差しとなるのかと思います。しかしそこには『大学でどんな学域をどのように取り組んだか』が反映されておらず、寂しい気持ちになったことも事実です。欧米諸国に較べて『入ることは難しく出ることは簡単』『大学で得られる知識は高校の延長』と揶揄される日本の大学制度を見事に映し出した面とも感じられます。
一方で専門性の極めて高い教育課程を組んでいる大学も存在します。それらは入試の基準もさほど厳しくなく、世間的な評価はあまり良くないかもしれません。しかし『将来この道に進むならこの大学、そしてその大学に行くにはこの高校がベスト』という選択肢は必ず存在します。そこには要らぬ苦労や頑張りを廃して最短距離の進路を取れるメリットがあります。そこには偏差値だけで計ることの出来ない『いい学校』が存在するのだと思います。