多くの受験生を見ていると験を担ぐ生徒さんを非常に良く目にします。ある意味健全だと思います。毎日毎日頑張ってあと少し何かが足りないというときにお守りを握りしめてしまう気持ちは痛いほどわかります。なぜなら毎年受験期直前になると私自身も少なからずそんな気持ちになるからです。
学校や他塾の先生がよく言う言葉として『神頼みはやることを全てやった人が最後にやること』というものがあります。正論過ぎるほど正しいご意見なのですが、私はその順番が逆になることも良いことだと思っています。お守りを買って握りしめる、そのことによって気持ちを落ち着かせてから勉強する、これも一つの形、ルーティンだと思います。要は気持ちの拠り所になればそれで十分に機能を果たしていると思うのです。
蛇足ながら、神頼みだけ、では何も生まれませんよ。念のため。