先日、ひょんなことから“夜回り先生”こと水谷修さんが現在のリモート授業・オンライン授業についてコメントをしているものを目にしました。水谷先生は・・・と私が紹介するまでもなく、日本の教育界において重要な意見を呈される方です。しかもその世間的評価に甘んじず、現在も教壇に立って後進を指導することに重きを置いている人格者でもあります。
水谷先生は高校の教員時代に生徒指導を長年担当されていらっしゃいました。そう言った意味では塾や予備校という受験産業とは少し離れた位置で生徒を支えるポジションです。しかし、なぜか先生の話にはそんなものを超越してワタシの心を捉える魅力があるように感じるのです。
今回、リモート授業の展開についても『知識の解説を一方的に行うだけの授業に私は魅力を感じない。』『学生の姿を見ながら行なうことが大切。』『本来なら授業が終わって質問に来る学生がいる。これは今後授業を行なう側が課題にしなければならない大切なことだ。』と述べられ、更には『リモート授業を本来の授業として良いのだろうか。』と問題提起をされています。
水谷先生の言葉が魅力的に響く根源は、先生が優等生ばかりを見て教育現状を語っているのではなく、『全ての学生に対して良質の授業を提供するためには・・・?』と自問自答されての結論だからだと思うのです。
リモート授業推進論者はおそらく『優等生ばかりを見て』判断しているのではないかと思います。もっと言ってしまえば、優等生はリモートでも本などの印刷物だけでも勉強は解るようになります。中学校の上位1~2割に入る力の生徒なら可能です。しかしそうするなら他の8~9割を切り捨てるのですか? 水谷先生はその誤りを指摘しているのではないでしょうか。
全く授業が出来ない状態での次善的手段としてリモート授業を行なうのは致し方ないものです。今回のような状況に直面し、なにもできずに呆然と立ち尽くしているのが現在の教育界です。それではいけません。何らかの打開策を講じなければなりません。その手段としてリモート授業を採用することは非難できません。
当教室でも試験的にリモートシステムを構築し、中学生については早々に(出来れば8月頃までには)開始できるよう準備を進めています。出来ないから非難する、と捉えられかねません。当教室でも早々に実施の予定です。
しかし、それがメインとなってしまうのはちょっと違う気がします。教壇に立つ者は受講者の意欲を感じながら、受講者は指導者の熱意を感じながら学習するものが本来の授業ではないでしょうか。
それでもリモート・オンラインで学校や塾の授業が代用できるとお考えの方に質問です。
全日制の高校と通信制の高校、どちらに魅力を感じますか?
生で講師が授業を行なう塾・予備校と通信制の塾・予備校ならどちらの予備校の方が効果的ですか?
いずれも上位~中位~下位の生徒を対象に考えて下さい。