本日は2019年10月24日、中学3年生の後期中間試験は11月6日。試験まで残り少ない時間を有効に過ごそう、これは毎授業生徒さんに伝え続けていることです。『まだ試験範囲も出ていないのに…』といぶかる(疑わしく思う、怪しく思う)声も聞こえますが、試験範囲が出てから腰を上げるような試験対策はしないようにと指導しています。
中学3年後期中間試験対策を行う中に試験範囲を予測する作業があります。その延長で『今年の中学3年生が中学校で習う範囲が完成できるかどうか』が判断できます。よく『卒業式の前日までに終えれば良い』というお考えを(主に中学校の先生方から)お伺いすることがありますが、それは詭弁(きべん;正しくないことをさも正しいように述べること)です。現実問題として毎年ほぼ100%の中学3年生が高校受験に臨む現実を考えればご納得頂けるのではないでしょうか。
そんな中、この科目は今年の中学3年生は終わらないのではないかと感じることがあります。卒業式の前日どころか…という話になってしまいます。よく中学生とふざけながら雑談していると『学ぶ権利を…!』という言葉を聞くことがありますが、教科書が終わらないことは『学ぶ権利の搾取』と言えるのではないでしょうか。
2019年は(も?)社会が著しく遅れているようです。もっとも社会は教育審議会の提言で『中学公民は終わらないことが当たり前』の科目になってしまいました。非常に残念です。学習塾から見て、つまり受験という面から見て、大きな危機感を感じています。理科社会は従来の暗記型学習から大きく変わっていることも踏まえ、理社の対策もしている生徒さんと英数国に傾斜して取り組んでいる生徒さんとでは全く違った結果が出ています。
未だに理科社会を暗記科目としている中学校の先生は論外ですが、中学生やその保護者様にも『理科社会は暗記科目』の認識は強いように感じます。理科社会の記述問題は対策をしなくてはなかなか得点にはなりません。しかしそれを軽視している受験生の多いこと多いこと… それでいいのかな…
英数国の1点も理科社会の1点も殆どの公立高校受験における重みは同じです。ましてや対策を要する記述問題は配点も高くなります。理科社会の記述問題を捨てて考えることは『数学の証明と作図を捨てなさい』『英語のリスニングを全て捨てなさい』『国語の作文は白紙で良い』とすることと同義です。少なくとも私の口からそう言う指導が出ることはまずないと思います。小欄をご覧の皆さんにもご一考頂きたいと思います。