最近はこの言葉、時候の挨拶や季語のような形でしか使われなくなったような気がします。読書が好きなものとして少し淋しく感じます。
秋には『読書週間』というイベントもあります。終戦まもない1947年(昭和22年)、まだ戦禍の傷痕が至るところに残るなかで『読書の力によって、平和な文化国家を作ろう』という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日からの一週間、第1回『読書週間』が開催されました。 そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。
しかし昨今では出版不況が続き、紙媒体より電子媒体に考え方がシフトしています。紙資源の管理を考えれば致し方ないものと思いますが、古代エジプト文明から人類が連綿と繋いできた歴史をこうもあっさりと・・・と考えるといささか感傷的になるのは私だけではないと思います。
一番本を読む世代である中高生、そして大学生に話を聞いても読書よりゲーム、と答えるケースが圧倒的です。当教室の生徒さんに尋ねても概ね同じような返答でした。そんな小中学生に『なぜ本を読まないの?』と尋ねたところ・・・
一番多かったのは『時間がない』でした。本当に時間がないかどうかは別にして読書のために時間を割くことはないと考えている生徒さんは多いようでした。確かに現代の小中学生は忙しい。習い事やクラブ活動でへとへとになっている生徒さんも少なくありません。そんな時、休息すら取らずに本を読め、と言っても無理な注文です。
しかし、読書は『まとまった時間を取って』やることでもないと思うのです。ちょっとした隙間時間にこれまで読んだ続きを読む、その隙間時間が終わったら本に栞(しおり)を挟んで次の隙間時間に・・・で十分に成り立つと思うのです。現に私の読書は殆どがそんな形だからです。まぁ、中には一晩で読み切ってしまう本も少なからずあるのですが・・・
二番目は『どんな本を読めば良いかが分からない』でした。これは私自身がよく尋ねられることなのですが、結論から言えば『何でも良い。興味を持ったものから読もう!』と呼びかけています。学習のための読書、では息が詰まってしまいます。自分の好きなこと・興味の持てることの書いてある本を読む、これが一番の近道だと思うのです。
しかし、『読書をしない理由』について反論を述べましたが、強制されてもなかなか読書習慣は身に付かないとも思っています。私の場合、読書習慣が身に付いたのは中学生時代に入院した時でした。やることがなかったためにお見舞いの本を読み始めたのがきっかけで読書習慣が身に付きました。不幸中の幸いと言えますね。
でも、何かのきっかけで読書習慣が身に付けば良いな、そのためには教室からも折につけ読書の話をしていこう、そんなことを念頭に置いています。