言葉足らずの話としてよく例に挙げられる生徒さんの発言に『先生、トイレ!』という言葉があります。先生は『私はトイレではありませんが…?』と返して生徒さんが苦笑いする…そんな話はよく聞きます。言葉は発達すればそれだけ短縮傾向になる悪い例とでも言えるのでしょうか。
男の子は高校生ぐらいになると途端に口数が減ってきます。俗に言う『メシ・カネ・ウルセエ!』です。しかし、普段そのようなことしか言わない高校生が本当にそれだけしか考えていない訳ではありません。中には『いつも朝起こしてくれるお母さんに高校卒業までにありがとうって言いたくて…』と相談されたこともありました。心は立派に成長していたのです。だからこそ、その一言が言えないのは勿体ないな。
そしてもちろん、このことは私にも当てはまります。どうしても授業などの限られた時間内で可能な限りの量を説明しようと詰め込んでしまうと起こりがちです。また、進路指導でも『ここまで今言うべきかな…?』と迷ってしまう時には言葉を濁してしまうことがあります。
先日、教室のメールフォームに『飯塚センセーですよね?』とメールが入りました。迷惑メールかな…?と思いつつタイトルを見たら懐かしい卒業生(以前指導していた塾の先輩でした)のお名前が目に飛び込んできました。まさかと思いながら中身を読んでみると昔飯塚が掛けた言葉の意味を最近ようやく理解できた、とのことでした。
実は私もその言葉は明確に覚えていました。進路指導で中学生にとってはかなり高度な要求(でも、高校生にとっては当たり前の話なのですが…)をしていたのかもしれません。その言葉の意図することは私からすればあまり特殊なことではなかったので特別な説明をしませんでした。でも…伝え切れていなかったのですね。これは痛烈に反省しました。
その先輩、大学卒業後に就職して30歳を過ぎて…と言う時期に言葉の意味が分かり、今の生活に活かして下さっているそうです。私は反省する傍らで私の言葉を15年以上も胸に留めてくれていたことに感謝の念を禁じ得ませんでした。それと同時に伝え切ることの大切さ、そして難しさを痛感しました。