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346 宿題考

346 宿題考

『平成~令和の大連休』(と呼んだら良いのでしょうか…?)でいくつかの研修会・説明会に参加し、また、本や資料を濫読(らんどく:系統立てずに手当たり次第読むこと。あまり良い意味では使われませんが…)した中でいろいろな疑問に改めてぶち当たりました。特にこの時期、どうしても気になることは『宿題について』です。

宿題については以前から、そして平素から喧しく(かまびすしく:うるさい、騒がしい)論議されているようなことですが、改めて両極端の意見があることに驚かされます。

宿題は『出すべきだ』『出さぬべき』の両極端な意見が対立しています。『出すべき』の論拠は『学校(塾を含む)だけの学習では内容が定着しないため、補完するために取り組ませる』と言う考え方。それに対して『出さない』という考えは『学習許容量は個人差があるので一律に出すことは無意味』という考え方。それぞれ、他にも意見はあるようですが、私を完璧に納得させるものではありません。

中には『漢字や英単語を覚える、と言う宿題は懲罰的な意味しか持たない』という極論もありました。これは『書き取り宿題』を指しているのだと思いますが… 言語センスの優れた生徒さんは国語の読解や英語の長文を通して漢字や英単語を覚えられる生徒さんもこれまで何人か見てきましたが、そうでもない生徒さんも多数います。その中で『書き取りをすることによって記憶効率が上がる』生徒さんも一定数存在します。それらを十把一絡げ(じゅっぱひとからげ:色々なものを個別に扱うことなくまとめて処置してしまうこと)に『無意味!』『前時代的!』と切り捨ててしまうことは些か乱暴に感じます。

普遍的なテーマですが、普段の家庭学習習慣が全くない状態で『学習習慣の定着から』と期待して頂いて入会されるようなケースも少なくありません。そんな時に『漢字・英単語・計算』など、極力数を稼げるような宿題(課題)で達成感を持って貰うことは非常に効果的です。そういった背景も考えに入れなくてはならないと思います。

本来は『宿題=家庭学習の基礎作り』と位置づけて個別に策定することが一番の良策だと思います。これは『家庭学習状況の把握コントロールにも繋げられます。学校では先生と生徒数・児童数の関係でなかなか出来ないことですが、これが機能することは学習習慣作りに直結するため、非常に効果的です。

当教室では宿題の量(問題数 or ページ数)難度(基本問題~過去問レベル)属性(誤答解き直し or新規問題や類題演習)などは生徒さんの現状と目指すべき位置を見極めて出しています。従って『○○ちゃんより宿題が多いよ…』『○○くんより宿題が少なくて…ラッキー!』というケースも生まれてしまいます。そればかりは…かわいそうなのですが、仕方ないことなので勘弁してね。