2019年4月1日、平成の次の元号が発表されました。これまでの元号と違って日本の古典である万葉集からの出典ということでも注目を浴びています。ただ、この解釈にはいささかの違和感も感じられます。この違和感こそが『古文嫌い』を生んでいるのではないかと思っています。
万葉集は7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された日本最古の和歌集です。天皇や貴族から農民や防人といった様々な身分の人が詠んだ4,500もの和歌を集録しています。代表的な歌人として柿本人麻呂、持統天皇、額田王、大伴旅人・家持親子、山上憶良などが挙げられます。
万葉集の歌風として『大丈夫(ますらお)振り』が挙げられます。古今集にある『手弱女(たおやめ)振り』に対して大らかで率直な表現が多くみられます。また、この時代は『花』と言えば梅の花を指すことが多いのも特徴の一つです。梅の花はもともと中国から伝えられたもので九州から全国に広がりました。菅原道真の『飛梅伝説』はあまりに有名で、うっかりすると『京の都から九州に広まった』とされがちですが日本では九州から広まったのが本来です。
さて、新元号『令和』ですが、「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き…」から引用されているとのことです。これは『梅花(うめのはな)の歌三十二首』の序につけられたもので山上憶良の筆と考えられています。
この『梅花の歌三十二首』は九州大宰府に大宰師として派遣されていた大伴旅人の邸宅で行われた宴の間に詠まれた歌を指しています。万葉集らしく大らかでストレートな歌が多く、中には恋歌も含まれるなどバラエティに富んでいます。どの歌にも共通して『この宴席は楽しいな』という思いが込められています。
中には今風にいうとボケた歌や悪ふざけの歌もあり、決して高尚な人格で畏まった服装で奏上した歌、ではありません。現代の文化に置き換えればこの種の和歌は『宴席を盛り上げるカラオケ』のような解釈でも決して間違いではないと思うのです。だからこれらの歌を解釈しようと思っている中高生はあまり構えずに向き合ってほしいと思っています。
新元号が発表されてもう一つ感じたことですが、新しい時代にばかり気を取られて今を疎かにしてはいないかを改めて自戒しました。新しい時代を迎える前に平成という時代をきちんと締め括らなければなりません。そんなことを漫然と感じた日でした。