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244 徒然草

244 徒然草

小欄も244章となりました。『244章』と聞いて本章のタイトルにピンとくる方は・・・さすがです。本章タイトル『徒然草』は序段と243段、合計244段からなる随筆です。皆様のご声援を受け、数だけでも日本三大随筆の一つに並べたことに感謝しております。折角なので本章は徒然草についてのお話をしましょう。

徒然草(つれづれぐさ)は吉田兼好(別名 兼好法師・卜部兼好)が書いたとされる随筆です。清少納言の『枕草子』鴨長明の『方丈記』と併せ、日本三大随筆の一つとして評価されています。鎌倉時代末期にまとめられたとする説が有力ですが、異説も多くハッキリとしたことは分かっていません。年代的に中年期頃の兼好が書いたことになりますが、中には若い頃に書いた文章も含まれているという説もあります。更に衝撃的なことですが、『兼好本人が書いたとする明確な証拠はない』と主張する学者もいます。ビックリ!

文体は和漢混淆文仮名文字中心の和文が混在しています。この時期が日本文学や日本語において過渡期であったことが分かります。内容は日々感じた雑多なことを思うがままに記されています。そのことを顕著に表しているのが序段の書き出しです。

『徒然草 序段』
つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

つまり、作品名にもなっている書き出しの『つれづれ(徒然)』、『やるべき事がなくて手持ち無沙汰な様子』から日々心に浮かぶことを書き連ねているのです。『つれづれなり』『よしなしごと』『書き付く』は徒然草に先行した文学にも用いられた組合せで『作品や自身を卑下した謙遜の辞であることを踏まえなくてはなりません。本当に『やることがなくて書いた』『つまらないことを書いた』と本心で言っているわけではありませんので悪しからず。

しかし一方で、『歴史に名を残す文章なのだからさぞかし高尚なことが書かれているはず』と身構えて読んでしまう生徒さんがいます(結構多いようです)が、現代の感覚で言えば『ブログ』みたいなものだと思って読むことも大切です。極端に言ってしまえば吉田兼好は『やることのない暇人』『厭世観たっぷりの世捨て人』と見ることもできるからです。まぁ、多くの古文作者はそういった人が多いように思います。本業で忙しければ当時としては何の足しにもならない(現代から見れば非常に貴重な資料ですが・・・)随筆など書くはずがないからです。

教科書に出てくるようなもの、しかも文体の解釈古語のバリエーションの多さ(吉田兼好はかなり博学で色々なことを知っていました)は少し面倒ですが、読み慣れてくると『昔の人も同じようなことを考えていたかも・・・』と古文に対して少し親近感が湧くような書物の一つではないでしょうか。

中学生・高校生には1冊で良いので古文全文を読んでみることを勧めています。『意味が分からないから・・・』と尻込みする生徒さんは訳文から読んでも』良いのではないかと思います。古文の情景が理解(当然現代日本とは全く別です。まるで異国にいるように感じるかも・・・)できれば半分以上古文の学習は完成しているのです。