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176 炭鉱のカナリア

176 炭鉱のカナリア

この表現を知っている小中学生・高校生はよく勉強しているな、よく本を読んでいるなと思います。炭鉱とカナリア、かなりかけ離れた言葉をセットにすることによってどのような意味が生まれるのでしょうか。

18世紀半ばから19世紀にかけて産業革命が推進されました。その際大きな動力源となったものは蒸気機関でした。その蒸気機関は多くの場合、石炭を熱源にしたのでした。

石炭はオーストラリアで行われている露天掘りのようなレアケースを除き、多くは炭田から坑道を用いて採掘が行われています。これら一連の作業を『炭鉱』と言います。炭鉱において、メタンや一酸化炭素などの有毒ガスを発生させることがあります。

これらの有毒ガス探知に用いられたのがカナリアです。カナリアは常にさえずっていますが、異常があればまず鳴き止みます。さらにガス濃度が高まれば気絶してしまいます。炭鉱で働く人たちはカナリアの様子を見て危険を察知することが出来るのです。

文章で使われる時には『身を以って危険を知らせる人・物』の例えとして使われています。こういったことがあるからこそ人類は今の繁栄を手に入れることが出来たのではないでしょうか。

現在、我々の生活の隣りには大きな危機があることを見逃しがちです。しかしそれは冷静に見れば未然に防ぐことが出来ることなのです。21世紀の人間が見れば日本における第二次世界大戦や太平洋戦争は無謀だったことが誰にでも解ります。それでは現代社会で国家同士が戦争したら・・・ 従来のダメージとは比べものにならないような地球規模の損失が生まれることが容易に予知出来ます。

どうも最近の世論は戦争を起こすことに寛容と感じられてなりません。憲法論議についても東アジア情勢についても非常にキナ臭く思われます。これは世論に対して警鐘を鳴らさなければならないことなのではないでしょうか。誰かがもうカナリアは鳴いていないことに気付かなければならないのではないでしょうか。