皆さんは『勉強する場面』というと机に向かってテキスト・ノートを開いて・・・と想像するでしょう。小学生・中学生にとっての勉強はそういうもの、と普段考えていると思います。しかしそれは勉強の一面でしかありません。世の中で言う勉強・学習とはそんな狭い範囲を指しているわけではないのです。
昨今ではLGBTを揶揄(やゆ)したテレビ番組が大きな批判を浴びたことも影響してか、長寿番組の終了が決定しました。また、世界情勢でも自国優先主義を唱える指導者に対してことあるごとに非難の言葉が浴びせられています。その背景には人種・民族・信条やそれらの歴史的背景を理解していないために起こる軋轢(あつれき)があります。
つまり、これらの摩擦が起こる原因の一つに『相手を理解していない』ことが大きくクローズアップされるのです。相手をきちんと理解すれば土足で踏み込んではいけないものや発言に配慮しなくてはならないことがきちんと理解できるのです。それを理解するのが勉強の一側面なのではないでしょうか。
日本国内でも未だに外国人排斥、特に有色人種に対する差別が見られます。そのたびに私は寂しい気持ちになります。なぜなら日本人も海外に行けば有色人種と称されて差別を受けることがあるからです。私個人の経験ですが、海外でそういった目に遭ったことが幾度となくありました。しかし、差別を受けた時に助けてくれたのは現地の有色人種の方々でした。だからこそ現在日本国内で見られるような差別はなくしたいと思うのです。
2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて世の中は急速に国際化が望まれています。しかし『世界標準に媚びること』や『世界の悪習を取り入れること』は国際化とは別の意味だと思うのです。『英語が使えることこそ国際化』というレベルの低い発想は別として『日本における・日本人における国際化』の理想を学んで欲しい・考えて欲しいと思っています。こういったことを考えることこそが本当の学習だと思うのです。