今回は少しショッキングなことを話題にしたいと思います。『学習塾の社会的存在意義』について・・・ こういったことを話題にすると『炎上騒ぎ』になることもあるかと思いますがそれも覚悟の上で論述していきたいと思います。少し長いのですが、お付き合い下さい。
私の世代では学習塾に通う友達はあまり見当たりませんでした。まぁ、私を含めた周囲の人間は勉強に対する意識が低かった、と言われるとぐうの音も出ませんが、それでも十分に事足りていたのです。私自身も生徒として塾に通ったことはありません。お父様お母様の中にも通塾の経験がない方は少なくないと思います。しかしそれでもさほどの不自由は感じず、事足りていたのではないでしょうか。
しかし、現在の小学生で5割、中学生で7割、中3生に至っては95%が塾に通っています。『世の中が豊かになったので子供を塾に預けるようになった』とも考えにくいところです。大変失礼な言い方ですが、それぞれのご家庭で家計から塾に通わせる費用を割いて下さっていることは日々痛感しています。
そこまでしてなぜ? と思われる方も多いと思いますが、これが現実なのではないでしょうか。その背景には様々なことがあります。受験の複雑化、教員の技量低下と学校の権威失墜、子供の生活環境変化など、枚挙にいとまがありません。
折に付け発信していることですが、私個人は『なくて済むなら学習塾はない方が良い。学習塾は必要悪』と公言しています。週2~3回2時間ずつ塾に来る時間を他のものに置き換えて差し支えないのであればお子さん方はその方が将来的に豊かになると思っています。しかし現実がそれを許してくれません。
例えば受験情報、LS WILLはどこにも劣らぬ情報量や太いパイプを持っていると自負しています。しかしこれは・・・
高校受験で話を進めると、本来であれば中学校で情報が完結していないのはおかしなことです。一般的な学習塾に較べたら圧倒的人数を持っているのですから・・・これがきちんと管理できていない点が上記『教員の技量低下』に繋がるのです。
多くの学習塾は受験技術を売りにしています。この際、それが本当にあるかないかは別問題としましょう。これは裏を返せば『学校の情報だけでは受験が出来ない』ことに対する警鐘なのではないでしょうか。
先日、『この辺の学校は特殊で解らないから・・・』と学校教員に言われて困っている、だから塾に相談を・・・と来塾された方がいらっしゃいました。ウ~ン・・・そんなに特殊な学校ではなかったのですが・・・
話は大きく逸れますが、LS WILLには高校部がありません。決して教えられないなどの理由ではありません。逆に教室運営を考えた際、あった方がプラスになることは間違いありません。それでも高校部を頑なに作らないのは『高校受験までに自分で学習する習慣を身につけ、塾に来る時間を他の時間に置き換えて欲しい』という思いからです。
だからと言って塾を卒業したらもう塾に来てはいけない、としている訳でもありません。試験前に『ここが解らないから教えて・・・』と言う卒業生も頻繁に来塾します。また、『大学受験で志望校に迷っているから相談に乗って!』と言う先輩方も少なくありません。
教室が当てにされていることは嬉しいことですが、その原因は『学校の先生が教えてくれない』『学校の授業じゃ解らない』ではその授業を受けている生徒さん全てが迷惑を被ります。そういったことがなくなればと思います。
これらの面も踏まえて冒頭に話を戻せば『学習塾の社会的存在意義は学校(特に公教育)運営における歪みやひび割れを補うための隙間産業』と定義できるのではないでしょうか。我々大人は社会に歪みやひび割れが多く見られる方がビジネスチャンスとなります。しかし学習塾はこの体制を旧態依然と繰り返して良いものかと思っています。
現在喧しく論議されている教育改革も制度だけ変えれば良いと思われている節がありますが、もっと根本にある問題(授業の質、将来に対する指導の質など)を謙虚に見つめ直す必要があると思います。
この件につきまして、特に広く皆さんのご意見を伺いたいと思います。高校部を作るべき、塾は必要悪ではないなど忌憚のないご意見を伺えればありがたく存じます。それらは教室運営に可能な限り反映させられるよう考慮したいと思います。