生徒さんが授業中に『先生、この問題解らないから説明して。全く手が出ないよ。』と質問してくるのは日常の光景です。そんな生徒さんを見て解らないものを解らないと言えることは一つの才能だな・・・と感じます。
そんな時はこちらも張り切って『この問題はね、ここに補助線を引いて・・・』『この問題のキーワードはここにあるんだよ。だから・・・』などと説明を始めた途端、生徒さんは『解った!あとは自分でやる!』と自分の席に戻ることがあります。説明したかったな、という思いをじっと堪えなければならない瞬間です。
中には『この生徒さんにはたった一つの糸口さえ掴めればこの問題を解ける』と分かっている場合(こちらも生徒さんの力は把握しています)があります。その時には一つ二つのヒントだけ与えて様子を見るようにします。そうすれば『解った!』が導き出せるのです。
問題を見て『この問題はこのやり方で解けるはずだけど・・・』として一つのやり方に拘ってしまうことを『止心(ししん)』と言います。このやり方? は落とし穴、実は全く別の方法で解けば難なく解けるような問題は入試でもよく見られる出題です。これらの問題は得てして『合否を分ける問題』となることがあります。
止心の類義語として拘泥が挙げられます。それに対しての対義語は『放心』です。放心は『ぼんやりすること』だけが一般的な意味ですが、別の意味で『気にかけないこと。転じて広い目で物事を捉えること。』という意味があります。ここで用いた意味は後者を指しています。
真面目に取り組める生徒さんに限って演習中に止心が見られ、結果として落とし穴にはまってしまいます。しかし問題を俯瞰で見る放心も大切なことなのです。
授業中は広い目で見る放心が大切です。蛇足ながら『ぼんやりする方の』放心は・・・厳禁です。