私が学習塾の教室運営業務のスタートは東京の西、昭島という小さな街でした。そこでお預かりした印象的な生徒さんについてご紹介していきます。
この生徒さん、野球が大好きで小学校低学年からリトルリーグで元気いっぱい頑張っていたそうです。当時の西東京は(今でもそうですが)野球熱が非常に高い地域でした。そういった中でリトルリーグ卒業生の先輩が練習の応援に来てくれることがよくあったそうです。そういった地域ですから高校生で甲子園に行った先輩もいたそうです。
彼にはその先輩方の姿が神々しく見えたようで『高校生になったら絶対に甲子園に行く』と誓いを立てて野球に取り組んだそうです。野球の練習の合間には野球強豪校の研究も怠らなかったのでしょう、『○○高校に行く』という目標まで(小学生の時点で)立てていたそうです。
しかし、ご存じの方も多いかと思いますが、西東京(に限ったことではないのですが)の野球強豪校は中高一貫、もしくは中学校併設の私立高校が圧倒的に多く、高校から入学した生徒さんがレギュラーを取ることはなかなか難しい現実がありました。
そこで急遽、中学受験を敢行することとなり、いくつかの塾を見たあと、私の運営している教室に入塾したのですが・・・ 入塾時期が12月半ば、入試までは1ヶ月半しかありません。当時の私はそれらの対処が初めての経験だったので周辺教室の先輩方にもご助力を頂き、学習計画の立案・教材選定・受験方法(2科4科選択でしたので2科で受験、試験のどこで得点して合格ラインに載せる・・・等)などを策定しました。
そこからの日々は毎日遅くまで塾に通って必死になって取り組みました。冬休み中は丸々塾、それでも気分転換をしたいとの申し出があったので昼休みに教室の裏にあった空き地でバットの素振りとキャッチボール(私が相手をしました)と、とにかく必死になって取り組みました。
年が明けて1月、必死さは過熱していきました。それにつられて私もヒートアップしていたのだと思います。禁断の申し出ですが、日曜日もやりたいと希望してくれました。その当時の私は会社員だったのでその場では返事ができなかったのですが、生徒さんの熱意を会社に伝え、許可を得た上で日曜日も授業を実施しました。
不思議なものでそれだけ必死になって取り組めばたった一ヶ月半の受験生生活だったのに、それ相応の力がついてきました。彼の地力や不断の努力も大きかったのでしょう。年明け最後の模試でも確実に力がついてきていることを証明してくれました。
東京都の私立中学入試解禁日は2月1日です。その日から何度か受験をする前提で出願し、入試応援(受験校の前で生徒さんに最後の激励を送る儀式)も全日程準備してその日を迎えました。結果は・・・
結果はあっけなく、第一回入試で合格を勝ち取ることができました。その際生徒さん、そしてお父様が発した言葉は今でも忘れることができません。
『先生、ありがとうございました。でも・・・すごく大変だったよ。次の入試はもう少し早く準備するからね。』『お陰様で合格しました。入会当初は先生はまだ慣れていないのに不安を覚えましたが、先生に預かって貰って幸せでした。こんなにトコトン付き合ってくれるなんて。』
お父様から伺ったところによると入塾の際はいくつかの塾で話を聞いたそうですが、ことごとく断られたそうです。この短い期間では合格は難しいの一点張り、と伺いました。確かにその通りです。言っていることは間違いではありません。でも・・・そんな杓子定規対応は私自身が納得しなかったのでしょう。
この生徒さん、高校3年生卒業まで在籍し、高3の夏は二桁ながら背番号を勝ち取って甲子園に行くことができました。甲子園でヒットを打てたことは私にとっても嬉しいことでした。
並行して勉強にもきっちりと取組み、高3の秋には系列の大学に推薦で進みました。残念ながら大学では背番号を取れなかったのですが、充実した学園生活を送れたことは何にも代えがたかったとのことです。
彼はリトルの先輩たちが後輩を激励したように塾の後輩を激励するために何度か教室に足を運んでくれました。そして自分の経験を話し、早く取り組むことの大切さを後輩たちに伝えてくれました。これが冒頭の言葉です。
『滑り込みは野球だけ。勉強は堂々と走れる準備をしましょう』