選挙になるたびに教育は都合の良い叩き台となります。『教育の無償化』『公教育の広範化』など解りやすい論理ではありますが、実体が伴っていません。論理的でもないようです。
現在の教育現場における問題と『選挙に用いるための方便としての教育』は著しく論点がずれているのではないか、そう思います。ずれていないのならなぜこれほど国際競争力が下落しているのか説明が付きません。毎回の選挙で争点になっている以上、相応の成果が出ていないことは大きな矛盾です。
学力が上がれば生徒さんの進路選択肢は格段に増やせます。そうなると公立私立の選択も出来るようになるでしょう。相応の学力がなければ『キミはここの高校しか受けられないよ』と言うことになりかねない。経済的にその高校に通うことが無理なら進学は断念しなければならないことにもなります。高校や大学の統廃合が行われているのに、高校や大学に行けない生徒がいる、これは矛盾です。
これらを解決するためには全く違う論点が必要なのではないでしょうか。つまり、これまでの改革では教育の質そのものは改善できないのです。
学習塾という第三者、それでも学校の中身は一般より知っているものからの改革提言として以下の2点を挙げます。
1点目は学校の自己裁量権拡大です。現在の小中学校では先生方に報告書の類いが多すぎて生徒に向き合う時間や授業準備のための時間が取れない。これは本末転倒です。現在は学校が教育施設として存在するのではなく、役所の一機関として存在するような状態です。
自己裁量権を拡大すれば報告書類の作成に忙殺されることも減るはずです。また、部活動による長時間拘束も外部指導者の活用などで教員の時間も作っていくことが出来るのではないでしょうか。
2点目は教員育成・採用のレベルアップと研修の強化です。小中学校・高等学校の教員は『教えるプロ・導くプロ』であって『研究者』ではありません。従って指導科目についての深い造詣より指導力が求められます。しかし実情は違っているように感じます。
また、これは一朝一夕には出来ないことですが、大学の課程で学部卒業と教職資格を分けることも検討すべきではないでしょうか。現在の大学では教職課程を取ってしまうと相当きつい4年間になってしまいます。学部で4年、教職課程で1~2年などのシステムを今後検討していくべきだと思います。そもそも学校教員には修士と同等の扱いが出来る世の中でなくてはなりません。
当教室の卒業生にも教職には興味があるけど留学等したいから無理、と言われたことがありました。これでは行儀良く4年間過ごした学生『だけしか』教員になれないのではないでしょうか。これで多様性を持った生徒に対応すること、多様化した進路を指導・提示することは難しいのではないでしょうか。
近い将来、労働人口が減少します。教育行政の改革は今すぐに着手しなければならない緊急課題です。だからこそ理解してくださる候補者を待っているのですが・・・
という話をしたら、生徒さんからは『先生が立候補したら?』とのこと。残念ながら私にその気はありません。