私がまだ学生の時、剣道の師父に連れて行かれた道場に柳家小さん師匠がおられました。師父とは剣友で旧交もあったそうです。私も小さん師匠にお声がけ頂き、稽古も頂戴しました。稽古後にご挨拶申し上げたところ、温和なご指導も頂くことが出来ました。
小さん師匠は優しい方でしたが、非常にきちんとした方でした。当時の私は落語が大好きだったのでそれ以降は素人ながらにメディアを通して小さん師匠の言動に注視していたものです。
『いらないものはいらないが、端折っちゃいけないところは見極めなさい。』『噺家(はなしか)は正しい言葉を使わなくっちゃいけない。』『芸人の仕事は笑わせることだ。笑われることじゃない。』など今振り返っても背筋が伸びる言葉ばかりです。
『いらないものはいらないが、端折っちゃいけないところは見極めなさい。』というご指摘は我々の生き方にも通じるものがあると思います。いらないものはいらない、つまり物事を洗練させていくこと。それに対して大切なことをブレさせてはいけない。芸事だけではなく何事においても言えることだと思います。
言葉を生業(なりわい)としていく者は正しい言葉を使うべき、これは言葉でわかっていてもなかなか出来ないことです。小さん師匠ご自身が長野県ご出身で江戸訛りを強く意識するが故の言葉に対するこだわりなのではないかと思います。常に足許を見つめ、基本を重視しなさいと言う教えです。
『芸人の仕事は笑わせることだ。笑われることじゃない。』という言葉の意味、当初は理解できませんでした。しかし最近はやっと理解できるようになってきました。自分や第三者を貶 (おとし)めて短絡的な笑いを取ることは芸ではないと仰っていたのです。後に同様の発言は他の方もされていますが、私の知る限り、小さん師匠が最初なのではないでしょうか。
そしてこの金言には現在の日本演芸における問題点、そして教育界における問題点も指摘しているように思います。つまり『いじられる(笑われる)=おいしい』と考える芸人さんがこれほど多いことです。その上で『いじられる』ことが虐めの変形として世の中に蔓延しているような気がしてならないのです。
小さん師匠は1936年に起こった『二・二六事件』にも陸軍の一員として巻き込まれました。待機の最中、上官から『士気高揚のために一席やれ』と命じられ、『子ほめ』を演じたそうですが、この状況で笑う人もなかったそうです。『面白くないぞ』とやじられ、『そりゃそうですよ。やっている方だって面白くない』とやりかえしたそうです。
こういった背景もあったのでしょうが、穏やかな人柄でお弟子さんを育てることに熱心な巨匠でした。