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21 勉強って本当に役立つの?

21 勉強って本当に役立つの?

以前生徒さんから表題のような衝撃的質問を受けました。しかしこの答えは小中学生全ての生徒さんが知りたいことでしょう。結論から先に述べますが、『全てが役に立つわけではない』のです。数学で図形の合同証明が出来なくても、英語で不規則動詞が解らなくてもそのこと自体はあなたの将来にさほど大きな影響力は持たないかもしれません。ではなぜ不要かもしれないことを含めて勉強をするのでしょうか。

色々な答えがあると思いますが、一つは物事のやり方を自力で覚えることが出来ます。算数や数学の計算は『やり方・手順』があります。世の中にも『やり方・手順』を要求するものがあります。それらに対応する力を付けることです。新しい家電製品を買ったとき、使い方が解らなくて暫く放置してしまうことはありませんか? それらは取扱説明書というテキストにやり方・手順という解き方が書いてあります。つまり、家電製品を使いこなすことは算数や数学の計算を出来るようにすることと同じなのです。そのためのトレーニングであるとも言えるのです。

もちろん、知らなければならないこと・知らないと被害を受けるようなこともあります。社会科で学ぶ権利を知らなければ自己の権利を主張することは出来ません。理科で学ぶ化学反応を知らなければ混ぜると有毒ガスを発生させる洗剤があることが解りません。

一方、利便性や損得より心を豊かにする学習もあります。国語の古文や詩歌鑑賞は最たるものでしょう。旅行に出て『昔の旅人はこんな風景を見てこんな短歌を詠んだのか』と思えることはステキだと思いませんか?

私が大学時代に受けた歴史の講義で『なぜ歴史を学ぶのか』という命題に一つの解答を示してくれた教授がいました。その先生はハッキリと『ゲームです!』と言い切りました。その先生は本能寺の変を題材にして『首謀者が明智光秀と言うことは解っているが彼にはハッキリとした動機がない。もしかしたら光秀は織田信長と敵対した勢力にそそのかされたのではないか。他の有力大名、野心を持った織田家の家臣、石山本願寺や延暦寺などの仏教勢力、朝廷など公家勢力などありとあらゆる可能性がある。その大論争にしっかりとした裏付けを伴って正解を示すことが出来たら…痛快ではありませんか。

正解か間違いかではなく、痛快かどうかという価値基準には驚かされました。つまり教科書に載っている知識をただ詰め込むことだけに終始せず、興味や関心を持って真実へと掘り下げることの重要性にまで言及されていたのです。ここまで到達することが出来れば勉強ではなく素晴らしい意味で『ゲーム』と呼ぶに相応しいのではないでしょうか。

小中学生はどうしても負の意味での『勉強=嫌だけど強制的にやるもの』『勉強=他者から押しつけられるもの』として捉えてしまいます(私もそうです)ので苦しく辛いことになりがちです。そんな時は少し見方を変えて『楽しいゲーム、パズル』と思える心の強さも持って欲しいと思います。