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360 学びの姿勢

360 学びの姿勢

何事にも貪欲な姿勢を示す生徒さんがいれば、どんなことに対しても斜に構えてしまう生徒さんもいます。恐らく、私は後者でした。よく、『またまたぁ…ご謙遜ですよね!?』という流れは良くあることですが、謙遜ではありません。だから解るんだな、そっぽを向いてしまいたくなる気持ち。でもそれって後々後悔するっていうことも知っています。だから『自分に素直になって欲しいな』って思っています。

そんなことも含めて『学びの姿勢』って大事だと思うのです。どんな気持ちで物事に向き合うか、どんな姿勢で自分の将来を切り開こうとするか、どんな観点で自分の努力で叩き出した結果に向き合うか、等々。ある意味、これらは『勉強する本質』であり、それが成長に繋げられる大きな要素だと思います。ただ漫然とテキストをこなして…とするより何倍も大切なことなのではないでしょうか。

以前より世阿弥の記した『風姿花伝』の勉強を始めました。世阿弥は父観阿弥と共に『能』を大成させました。『風姿花伝』は父観阿弥の教えを体系的にまとめ、能の芸能論から能を修行する芸道者への心得等まで幅広く論じています。現在でも使われる、『幽玄』『物真似』『花』などの芸の神髄を語る表現の典拠でもあります。

元々は能楽派の金春流秘伝書で一般人が目にすることは出来なかったものですが、20世紀に入ってからようやく日の目をみることができたものです。以前は『花伝書』と表すこともありましたが、現在この表現は間違いで使われていません。特に受験生は注意を!! (『花伝書』の表現を使った授業、ある予備校で一昨年見ています。特に大学受験生は自らの判断で取捨選択をきちんとして下さい。)

味わうべき言葉を上げれば切りがありません。『初心忘るべからず』『秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず』などが有名ですが、ここでは敢えて扱いません。最近はこういった流れを生徒さんに読まれているようです。『センセーは必ず変化球で来るからね!』そうです。変化球で3つほど。皆さんほどの年齢で知っておいて欲しい言葉を上げます。

12~13歳
先づ、童形なれば、何としたるも、幽玄なり
【意味】 生来の美質が賞でられている時期、得意の気分で勤める時期こそ大切
何でも習得する時期が大切なのですね。その時期を逸してしまえばそれは一生得ることの出来ないものを生んでしまう、それほどに重い教えなのだと思います。今にも通じる大切な言葉です。

17~18歳
一期の堺ここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬより外は、稽古あるべからず
【意味】 一生の運命を決する境目はここなので、あらんばかりの勇気を奮い起こして一生能を捨てぬ覚悟を持って稽古するしかない。
多少のズレはありますが大学受験の18歳頃に…と解釈すると意味が違ってしまうように思います。この当時は二十歳のはるか前で元服することが一般的だったので現在の年齢に換算するとやはり大学卒業頃を示すのが妥当ではないでしょうか。その頃までに心に決めた将来に向かってブレぬ心で取り組むことの大切さを示しています。求道者にも職業指南にも共通する本質があるように思います。

稽古は強かれ、情識はなかれと也
【意味】 稽古は厳しくあるべきだ それに対して我を主張して固執しない方がいい
我を張ることを世阿弥は『芸域を狭めること』として慎むように記しました。今の世の中でも我を張ってしまえば居心地の悪い世間になってしまうでしょう。『心の自由』を求めたものとも考えられるのです。勿論、稽古は厳しくすべきです。言い換えれば『自分に厳しく生きるべき』と言っているのです。

言葉の羅列ではあまりに断片的で『風姿花伝』の示す人の生きるべき道は指し示すことが出来ません。でも『学びの姿勢』として、『生きる姿勢』として大切なものがたくさんちりばめられています。機会があれば教室で読書会のような形でやりたいな…と思っています。世阿弥が生きた室町時代初期の文学は多少なりとも厄介なモノなので何人かで協力して登り切ることも考えたいと思っています。