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340 新一万円札

340 新一万円札

2024年の上期をめどにお札と500円玉のデザインが刷新されることが発表されました。中学生の生徒さんに話を聞いたところ、津田梅子(岩倉遣欧使節団に同行した日本女子教育の第一人者、津田塾大学創始者)北里柴三郎(細菌学の権威でペスト菌・破傷風血清療法を発見)に比べて渋沢栄一は知名度が低いようです。

渋沢栄一(1840~1931)は江戸時代に農民の家に生まれました。農民と一口に言っても名主階級の裕福な家庭だったそうです。尊皇攘夷運動に啓発されて勤皇志士だったのですが、巡り巡った縁で一橋慶喜(後の徳川慶喜、徳川幕府最後の将軍)に仕えたこともありました。

明治維新後は一時期明治新政府の一員として活躍しますが、経済界に転身しました。主なところで『第一国立銀行(現在のみずほ銀行)』頭取、『七十七国立銀行(現在の七十七銀行、大手の地銀)』設立の指導を行いました。

他にも『東京瓦斯(現在の東京ガス)』、『東京海上火災保険(現在の東京海上日動保険)』、『王子製紙(現在の王子製紙・日本製紙)』、『田園都市(現在の東京急行電鉄)』、『秩父セメント(現在の太平洋セメント)』、『帝国ホテル』、『秩父鉄道』、『京阪電気鉄道』、『東京証券取引所』、『麒麟麦酒(現在のキリンホールディングス)』、『サッポロビール(現在のサッポロホールディングス)』などなど、現在に至るまで日本の経済を牽引している企業の設立に関わり、その数は500社以上と言われています。

企業設立という意味では、当時同様の動きをしていたものに『財閥』がありました。現在でも財閥は企業グループという形で存在しています。渋沢栄一がそれらの財閥創始者と決定的に違ったのは財閥を作らなかった点にあります。『私利を追わずに公益を図る』との考えを生涯にわたって貫き通したことは刮目に値します。

また、経済に倫理観、道徳観を持ち込んだことでも有名です。利益を独占するのではなく、国全体を豊かにすることが目的であり、富は全体で共有するものとして社会に還元するよう説いています。前段の『私利を追わずに公益を図る』精神に溢れています。

そういった背景から社会貢献活動にも熱心でした。民間外交を繰り広げる傍ら、関東大震災(1923年)後の復興のため、寄付金集めに奔走することもありました。1930年代の日中関係は緊張の糸が張り詰めた状態でしたが、1931年に中国で起こった水害に対して義援金を募りました。

江戸から昭和にかけて生きた日本を代表する人物でありながらあまり知られていないのではないかと思います。これを機に日本における近代経済設立の父を見直してみてはいかがでしょうか。