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150 古歌を学ぶ ~その①~

150 古歌を学ぶ ~その①~

中学3年生の生徒さんで国語の教科書内容を復習しよう、と意気込んでいる生徒さんがいます。その生徒さん、大きな山場は古文だと自ら設定して取り組んでいます。自身の強みや弱点を把握していて心強い姿です。

中学3年生の教科書に万葉集・古今和歌集・新古今和歌集の代表的な和歌が掲載されていてそれの解釈に四苦八苦しています。その生徒さん、決して解釈ができないわけではなく、文法や語彙が理解できていないわけでもないのです。それならなぜ・・・?

文章を解釈するにはまず文法や言葉そのものを理解しなくてはなりませんが、それと並行して重要なことがあります。それが文章の書かれた時代背景文化的背景です。万葉集が編纂された時代は現代日本とはまた別の社会的背景を持っていることがポイントとなるのです。

どうしても国語の授業・試験対策となってしまうと語法や修辞法などがメインになってしまいます。そうなると短歌の解釈は『言語明瞭・意味不明』となってしまいます。

持統天皇の有名な歌に
    春過ぎて夏来るらし白たへの衣干したり天の香具山
という歌があります。教科書にも載っていますね。

この歌の解釈は(教科書によれば)
『春が過ぎて夏が来たようだ。真っ白な衣が干してあるよ、天の香具山に』
となっています。これだけを読めば、当時の洗濯風景? それだけ? となってしまいます。

現代日本では梅雨明けを本格的な夏とする意識が強く、我々もそれを基準としています。しかし当時は梅雨明け宣言などはありませんでした。当然ですが・・・

図式化すると以下のように考えられるのではないでしょうか。
現代の日本  春~梅雨~夏~秋
万葉集の時代 春~夏(梅雨時を含む)~秋
万葉集の時代では現在の5月頃から夏が始まっていたのです。従ってこの和歌は梅雨明けに詠われたものではないことが推理できるのです。

また、『白たへの衣』、これは何?となります。
当時、庶民であれば綿、貴人であれば夏は麻だった(他は季節に応じて)のではないかと言われています。しかし、山の中腹に干していることを考えれば庶民の衣類だったのではないでしょうか。

その山ですが、香具山は大和三山に属します。それを持統天皇はどこから見ていたのでしょうか。持統天皇は自身の治世8年に藤原京を作っており、万葉集研究の第一人者である斎藤茂吉の説によるとこの都から見ていたと推論しています。大和三山は藤原京から見て東に位置しています。

この歌の持つ軽やかさ・清らかさから『洗って干したばかり、水分たっぷり含んでいます』という状態ではなく、生乾きで軽く風にはためいている状態、つまりお昼前後だったのではないかと言われています。そうやって考えると光の差す方向などもイメージできてくると思います。

また、この歌の修辞法としては一般的に体言止め(『天の香具山』で終わっています)のみを誇張して捉えられてしまいますが、他にも『来るらし』『干したり』(共に母音が『ai』となっています)での押韻が見られる点や爽やかな色彩を施す表現を行う点など特筆すべき箇所の多い歌です。

こうして見ると持統天皇が多くの有能な歌人を見いだしたのは決して偶然ではなく、持統天皇自身が優れた歌人であった必然の結果と考えることができるのです。

・・・

ここまでやるともはや学校での学習ではなく趣味の学問のようです。それでも実学となってくれたら良いなと思っています。和歌や古文についてはもう少しお話ししたいことがありますのでこの章は次に続けます。併せてご一読下さい。