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130 正々堂々

130 正々堂々

先日生徒さんと話をしていてびっくりしたことがありました。バレーボール部の生徒さんの話では…

相手方のスパイクをブロックしてそのボールがアウトになりました。ボールがブロッカーの指先をかすめましたが、ボールの軌道が変わらなかったそうです。ブロックした選手は触れている(自覚もあったそうです)にも関わらずノータッチを主張してそれが審判に通ったそうです。本当は『ワンタッチ』ですが『アウト』の裁定になったそうです。

それに対して私が異を唱えるとその生徒さんは『コーチからは“触っていないと主張しろ”と指導されているんだ』とのこと。言語道断ではありませんか? スポーツを教える、ましてや未成年を対象に教える場合は『試合に勝つこと』より『スポーツマンシップ』『フェアプレー』を何より優先すべきだと思うのです。

私はその生徒さんを責めているわけではありません。その競技環境を危惧しているのです。残念ながら日本に留まらず世界中のプロスポーツでも不正は後を絶ちません。試合に勝つことで得るもの(巨万の富であったり名誉であったり…)があまりに大きいため、それに目が眩んでしまうのです。

しかし…多くのスポーツ愛好家は競技技術そのものの向上や勝敗よりスポーツをやることによって得られる爽快さを優先しているのではないかと思います。その中で自分の心に嘘をついて良いものかと思います。身体は爽やか、でも心の中には後ろめたさが…とならないのでしょうか。

これは特に中学高校の部活動の影響が強いと思います。一時期徹底的に叩かれた勝利至上主義、実はまだまだ根強く残っているのです。それが形を変えて姑息な指導へと走っているのです。勝ち負けに対する技術より道義的な指導・育成、競技に対する真摯な姿勢を指導する方が大切なのではないかと思いますが…

スポーツに対する価値観が変わり、世界の潮流は勝利至上主義から社会貢献へと移行(NPBやMLB、JリーグやNFLを見ても明らかです)しています。そんな中で自己中心的な勝利至上主義を掲げる指導者はそろそろ排斥されても良い時期です。

2020年には世界的スポーツイベントが日本で開催されます。しかしその前に競技指導者やそれを支える人々は『何をしてでも勝てば良い』という一昔前、二昔前の考えを世界標準に追いつかせなければなりません。

LS WILLでは勉強を通して正々堂々と取り組むことの大切さを訴求しています。その中でよく勘違いされることに『不正と工夫』があります。これは根本的に異なることです。

野球で『反発係数の高いバットを使うこと』が不正、『飛距離を出すために考えたトレーニングや素振りをすること』が工夫です。私は効果的なトレーニング方法や素振りについては全ての引き出しを開けて徹底的にお付き合いします。その中で『愚直に正面から取り組むこと』を習得して欲しいと思っています。